人は生まれた時から「生きる」ことを無条件に強制されるわけですが、その後年数を重ねていくにつれふとした時に「なんで生きているのか」と疑問に感じるときも多々あります。考え始めたらキリがない「なんで生きているのか」という疑問。自分なりの意味を見いだせる人もいれば、疑問を持った瞬間全てが無意味に思えてしまう人など様々ですが、そんな「生きる理由」についてネット上で話題となっていましたのでご紹介します。
話題になっているのは、『2ちゃんねる』に立てられた「生きてる理由がガチで分からなくなるなる時ない?」というスレッドでのこと。
こちらには、なぜ生きているのか、どんな時に生きている理由がわからなくなるか、といったことについて様々なコメントが寄せられています。
・死ぬ理由がないから生きてる
・可愛い中学生に告白されるかもしれないから毎日を生きて生きて生き抜いております。
・生きるってのは、ありもしない答えを探すようなもん
・人間なんてなんとなく生きて死ぬ生き物・生きていたくない、けど死ぬのは怖い、ってんで惰性で生きてる
・アニメ見たりゲームしたり遊んだりするため
まずは、「なぜ生きているのか」というニュアンスで寄せられていたコメントの一部。
コメントでは、未来への期待を抱きながらというポジティブなものもありましたが、大方は特に理由はないけども生きているといったものが多かったようです。
一方で「生きている理由がわからないとき」というニュアンスで寄せられているものには
・毎日の生活が同じようなことの繰り返しだと気がついた時
・なにやってんだ俺はみたいな感じ
・自分が生きた痕跡なんてきれいさっぱり消えてしまうことを考えると凄い虚しくなる
と、ふとした時にそういった気持になるというコメントが多くみられました。
ただ、中には「生まれてこのかたそんなものを知れたことなど無い」「人生どれだけ楽しめるかだ」と、生まれたからにはハラを括って日々を過ごしているといったコメントも寄せられており、確かに、無駄にネガティブなことを考えて悶々とするよりはそちらのほうがよっぽど有意義で意味のあることだと納得できました。
自分の周りでちょっとした何かがあった時や、逆に何もなくてふと日々を振り返った時に突然沸き上がってくるこういった考え。もし、そんな気持ちに押しつぶされそうになったときはあえて開き直ってしまったほうが、精神衛生上もいいのかもしれません。
(ライター:ももんが)
無理して生きなくていいから。
哲学だな
いちいちそんなの考えてられるかよ
背伸びしてあれこれ考えるなら、惰性で生きる方が無理がなくていい。
それがいやなら自分を変えろ
パイ乙を吸うために生きるのさ
この世にどれだけ楽しい事ある思うてるの
ゲームにスポーツにエンタメ楽しめばいい あとたくさん旅に行ったら? 違う土地に行くと違う自分見つけれる、後人との繋がりが人間を幸せにしてくれるんだって、